日本人として、最初のR I 会長の、向笠さん

向笠さん
向笠さん
  1. 日本人で、最初にRI会長を務めたのは、東ヶ崎潔さん、二番目が向笠廣次さんです。三番目は、最近会長を務めた田中作治さんです。東ヶ崎さんは、国際基督教大学の、東ヶ崎記念ダイアログハウスの募金活動などで、ご存知の方が、かなりいらっしゃるだろうと思います。東ヶ崎さんは、お名前が“ジョージ・潔・東ヶ崎”というように、米国で生まれ、米国で育ち、いわば日米両方を母国とした方でした。二番目のRI会長、向笠廣次さんは、日本国籍を持つ、日本人として、最初の国際ロータリーの会長さんです。向笠さんについては、知っている方がごく少ないでしょう。向笠さんは、私にとり大学の大先輩で、何かとお噂を聞く機会もあり、今回向笠さんの事につき、小文を書いてみます。

  2. 向笠さんのお父さんは軍医であり、その後を追い、九州帝国大学医学部(現在の九州大学)を、昭和13年、1938年に卒業されました。在学中に、大変ヨットに凝った(当時はする人はまれだった)という話が残っています。卒業後、精神科に進まれました。精神科医として、電気ショック療法を創めるなど、国際的に知られた方でした。人格的にも、大変立派な方だった、と聞いています。やがて大学を離れ、病院に勤務し、大分県の中津市で開業し、中津RCに入会し(1957年)、ロータリーとの深い縁が出来ました。

  3. 向笠さんが、RI会長を務められたのは、1982‐83年度です。会長の掲げるテーマは「MANKIND IS ONE: Build Bridges of Friendship Throughout the World」「人類はひとつ:世界中に友情の橋をかけよう」でした。人類は、その祖先をたどって行くと、みなが血縁の関係にある、人類は一つなのだ、と強調されました。1982年の国際協議会で、「皆さん、左右にいるオジサンやイトコと初対面の挨拶をして下さい」と言われたのは、有名なエピソードです。ちなみにその時の日本のRI理事は、私と同じクラブの末永直行さんでした。末永さんと向笠さんは、大変親しい間だった、と聞いています。

  4. ポールハリスは、ロータリー運動は、故郷の生活から生まれた(深い友情、政治的、宗教的寛容さ、など)、と言っています。私がその故郷を訪ねると(ウォリングフォード)、ポールハリス記念RCの人から、「RI会長はあまり訪ねてこない。だがムカサは訪ねてきてくれた」、と喜んでいたのを思い出します。会長の時、大変精力的に、全世界を回られた、と聞いています。

  5. 私の手もとに、向笠さんが会長をされた年次、1983年3月の地区大会(第270地区)の記念誌があります。会長テーマに従い、「世界に友情の橋を」という題のパネル討論会を行う事になりました。どういう訳か、海外生活の長さのためか、新参者の私にも、パネリストのご依頼があり、懐かしい思い出の一駒となっています。 

  6. 中津RCの方が、向笠さんを偲んで書いておられるのを読むと、ご本人は重い関節リューマチを患い、病気を押して会長職を務め、任期を終えて中津に戻ると、すぐ寝込んでしまわれた由。その後小康状態となるが、手術を含め、長い闘病生活をされ、車椅子で講演に出かける、そういう生活を続けられたようです。約20年前の、1992年に他界されました。

  7. 向笠さんがRI会長として、ロータリーに献身される、それにロータリアンが感動し、向笠記念公園(中津市)が造られました。現在でも、中津RCなどが、公園のお世話をしている、と聞いています。