ポールハリスと ロータリーと オアシス

4人でスタート、1905年
4人でスタート、1905年

ロータリーを創ったのは、ポールハリスです。 彼は晩年に自叙伝を書く。My Road to Rotary という自叙伝です。その中で印象的な記述があります。彼がロータリーを創ったが、ロータリーは彼にとって、オアシスであった、という記述です。オアシスは、もちろん砂漠の中にあって、苛烈な水の無い砂漠の中にあって、豊かに水を供給し、人々に安らぎを与えてくれる所です。

 

 ポールハリスにとり、シカゴという都会砂漠の中で、ロータリーがオアシスであったのでしょう。このあたりの消息は、興味のある方は、この自叙伝をお読み下さい。

 

 なおこの自叙伝の序文で、「自分の人生で重要なことが二つある。一つはロータリー運動であり、今一つは、故郷ウォリングフォードでの生活である(彼が育った村、ヴァーモント州)。ロータリー運動は、故郷の生活から生まれたとも言える」と述べています。故郷での厚い友情、宗教的、政治的寛容さなどから生まれたという事です。

 京都大学の総長に、平沢興 という有名な方がおられた。専門は医学、解剖学です。総長退任後、程無くしてロータリーのガバナーをされた。そして地区大会で言われるのに、「天を仰いで幸福に感謝したい。人間たるの幸福、健康たるの幸福、職業に成果を持つ幸福、家庭の理解を持つ幸福、そしてロータリアンたるの幸福」、と言われたそうです。これは戸田孝PGが書かれた本、「素晴らしい出逢い、よき師、よき友は、人生の宝」の中からの引用です。

 ロータリアンであることの幸せ、それをもう少し引用すると:「栄光に輝くロータリーのメンバーであること、超我の奉仕を胸に、良き人生を生きる道であるロータリーの一員であることの幸福、これは何ものにも変えがたいものであります。 私たちは、この幸せを感じさせ、教えてくれるロータリーを、――」。
 古き良き時代のロータリーを感じさせます。

 日本にロータリーが入り、少しずつ広がって行く、むろん戦前の話です。九州の地になかなかロータリークラブを創れない。それを可能にしたのは、意外な話ですが、福岡の県知事の小栗さんです。小栗さんは大阪で、たびたび大阪ロータリークラブに招かれ、そういうクラブを福岡の地にも創りたい、と考える。

 

  この間の消息を、当時のガバナー、井坂さんの月信から引用すると「ロータリークラブが一般実業界の向上、また政界のためにも、はたまた社会風教のためにも極めて有用の機関たるを熟知し―――」と記しています。