江戸末期の日本、博多と福岡:日本の西洋医学の祖、ポンぺ博士の貴重な記録

 Dr Pompe (出所 グーグル)
Dr Pompe (出所 グーグル)

 

はじめに

ある夏休み、ホノルルで隣家の、品の良い白人の老夫婦と知り合いになった。名前はWittermans ウイッターマンと言い、主人は社会学の名誉教授であり、奥さんも社会学を専攻する学者である。その奥さんを通じて、江戸時代末期の日本を、彼女の母国オランダのポンペ博士が、如何に観察し記録したか知る事ができた。ポンペの記録はオランダ語で書かれ、長年全く世に知られていなかった。彼女はこれを発見し、英訳の上出版した。その一冊を贈呈して頂いた。読んでみると大変面白い。全体を訳すわけにも行かないが、当時の二つの隣接する都市、博多と福岡の記述があり、せめてそれを訳してみたい。非常に好意的に書かれているのが印象的である。

 なお同博士は、長崎で西洋医学を初めて日本人に教え、教え始めた日は、現在でも、長崎大学医学部の開学記念日となって、記念されている由である。同氏の写真も、この小文に載せている。

 

ここでは博多と福岡の記述を和訳しご紹介したい。 なおポンペは、黒田藩主に招待されたが、この方は薩摩の島津斉昭と縁続きであり、西洋文明の取り入れに熱心で、英邁な君主として知られている。勝海舟も、この黒田藩主と懇意であったが、すべて急に洋風にしようとし、そのため蘭癖(蘭学にあまりに深入りする)の噂があった、と記している。

 

本文

筑前の大名の招待を受け、我々長崎の出島のオランダ人一行は、数日間、筑前に立ち寄る事になった。我々は1858年の末に、日本海軍の蒸気船に乗り、博多に行った。博多は筑前の首都であり、長い橋で福岡と連結している。福岡は「軍都」(軍事的な都市)である。領主のお城があり、高位高官の者たちが住んでいる。

 

船が港に入り我々が海岸に上陸すると、高官の者たちの出迎えを受けた。我々一行は、ゆっくり町の中を歩いて、レセプションの式場に進んだ。以前、鹿児島で経験したのと同じように、町のいわば全人口が、我々を見物に出てきた。ただしこの土地の人々は、鹿児島に比べずっと友好的であるとすぐに分かった。薩摩の人たちは、好戦的なことで知られており、また「革命的」であり、Blood thirsty、つまり血を好む人たちである。

 

筑前の人たちは非常に丁寧で、かつ友好的だった。何千という人たちが町に出て、我々を見守っていたが、ほんの僅かの警察官がいるだけなのに、人々はちゃんとその決められた場所にとどまり、警察官が一寸合図をするだけで、群衆を整理する事ができた。(警察官と記されているが、そういう役目をした侍のことであろう)

 

博多は非常に産業の盛んな町である。有名な絹の工場がある。大きな鋳造所があり、鉄の鍋や釜を作っている。織物工場もある。だが鹿児島ほどには繁栄していないように見えた。一方隣の町、福岡を見ると、日本の軍事的な町がどうなっているか、的確に分かる。道は広く直角に交差している。この上もなく清潔である。大きな建物があり庭や木々で囲まれている。これらは兵営、倉庫、武器庫などになっている。博多と福岡の人口を合計すると、おそらく10万人を超えるだろう。

 

筑前の魅力的な領主は、我々の滞在を愉快にするために出来るだけのことをしてくれた。領主は、以前出島に、我々を長時間たずねてきた事があった。彼は部下に命じて我々を観光に連れ出し、馬屋にある素晴らしい馬をいつでも自由に使えるようにしてくれた。この町の近郊は非常に美しかった。広いきれいな道が続き、美しい森があり、良く耕された畑が広がっていた。その上、人々は非常に友好的だった。だから我々は、近郊に出かけたがったのである。領主は市外に、Hakajatsiという別荘を持っており、庭のつくりは祖国のGelderlandの、最も美しい部分に比較できよう。そこで我々は領主と共に過ごした。

 

領主は非常にチャーミングな態度でみんなと話しをし、趣味のいくつかを披露した。武士の何人かは、長崎で我々から教わった教練を立派にやって見せた。最後に素晴らしい食事が出て、それが何時間も続いた。食事の中には洋風のものもあり、またヨーロッパのワインもあった。我々以外の士官や水兵たちも、どこででも人々から暖かく迎えられたようである。

 

我々の滞在の3日目が、最も楽しいものであった。領主は、馬で大宰府に行く事を勧めた。大宰府は博多から4 時間のところにある町で、有名なお宮があり、天満宮と言う。馬は素晴らしいし、道は広々とし、まるでフェアウエイのように平坦であった。我々が進むにしたがい、見渡す限りよく耕された畑がつづき、水平線上には丘が現れれ、その風景はまるでおとぎ話から出てきた一幅の絵であった。道の途中にいくつかの村があった。我々の国の村より大きく、いたるところで人々は家から出てきてオランダの騎馬団を迎えた。皆にこにこと笑みを浮かべ、娘たちは日本の他の地方と異なり、あまり恥ずかしがったり、おどおどしてはいなかった。

 

大宰府で馬から下りて旅館に入ったが、そこでは我々のレセプションの用意が万端整っていた。軽い飲み物を飲んだのち、天満宮を訪ねた。そしていくつかの素晴らしい庭を訪ねた。午後になって我々は帰途についたが、夜のとばりは早くおり、ランタンやたいまつがおびただしく灯されて、非常に印象深い最後の夜となった。